アスカ美装 東京支店 塩津公作支店長 インタビュー

入社した経緯から教えて貰えますか?

生まれが和歌山県南端の古座川というところで、ピュアに育ちました(笑)

一生に一回は東京に住んでみたかったので東京の大学に通い、4年間を過ごしました。でも、関西の出なので関西に帰りたくなって、親からもちゃんと働けと言われて、今のアスカ美装の相談役と伯父が知人だったことから口をきいて貰い、入社することになりました。22歳の時で、今が44歳なので22年間在籍することになります。その頃おられた方は、定年とか退職されてい今は数人しか残っていないですね。

ということで履歴書はめっちゃ綺麗です(笑)

入社した当時は日常清掃(カーペット掃除したりガラスの指紋を拭いたり) 8-17時を週5で働きました。二ヵ月位したら、定期清掃 (スーパーだと閉店後) の事業を立ち上げるのに、私と2個上の先輩と18歳の人と三人でチームを作れと言われて、大阪の協力会社(後のイオンディライトコネクト株式会社) に半年間修行に行かされました。夜の仕事で16:30に家を出て、西成の職場に18時に入り18:30から翌朝6時とかに終了、朝に8時に帰宅。すぐに寝て又15:30におきてを週5でやってました。休みの日はずっと寝てましたね。

でも、若かったからか、体力あるからなのか、隙間を縫って、教習所に通いバイク免許をとったりもしていました。

半年の修行から戻るとハイエース一台と床洗浄道具一式が揃えられていて、自分達で廻れ、ということで自分とアルバイト数名の責任者として廻る仕事を2年位やりました。

管理職もやってくれと言われて週に2-3日は徹夜の日もあって、その時が一番きつかったですね。常に辞めたいと思っていましたが、誰に相談したら良いかもわからずで・・・。

辞めなかった理由は、東京に異動になって新天地に赴いたってのが大きかったです。
その頃の経営陣は絶対的な存在で、言われてから一週間後には東京支店にいました。

26-7歳から13年東京支店で働き、4年前に支店長になりました。40歳の時です。

私が来た時には2-3人だった東京支店もその時には14-5名になっていました。売上規模で言うと、2億から約10倍ですね。
私は主に全国展開している家電量販店を任されたのですが、店舗出店するごとに売上が上がって行ったことになります。

今まで、結構なパワープレイが繰り広げられていたとも言えますが、今はその社風はどうなったんでしょうか?

今は全くないですね。時代なんだと思います。ハラスメントが注視されるようになり、必然的にパワープレイはできなくなった。

今までも嫌やった・・・という気持ちもないんです。ただ、自分だから耐えられたんじゃないかと思って、他の人にはやってはいけない、という覚悟があったと思います。

生まれてからビュアに育ったってのもあるのかもしれません。なんでもハイハイ言ってましたから(笑) 

現 森脇社長のマネジメントについてはどう思われますか?

森脇社長のやっていくことについていくことは、実は一番しんどいんじゃないかと思うんです。ある種、コマでいればOKてのは耐えられるんですが、森脇社長の場合、考えさせられることが多くて、脳みそが疲れるといいますか(笑)

「内定1st」もその一つです。目標の定め方が、ジャンプしているといいますか、とにかく発想が斬新といいますか。

東京支店の人員の規模はどれ位なんですか?

オフィスメンバーが15名程で、社員・パートさんが170-180名程、警備が50名弱、品質管理が同じく50名ほど。家電量販は外注管理になります。総勢300名程の布陣となります。

今回「内定1st」で求人する方はどんな働き方になりますか?

ここ(オフィス) 勤務で半分現場、半分オフィスという働き方となります。
現場ではないですが、現場のことも知って貰わないといけませんので、そんな働き方になってくると思います。

塩津支店長はどんな方に来て欲しいですか?

一番は嘘をつかない人、真面目といいますか。
一生懸命、真面目にやっている人がババを引かない会社でありたいと考えています。

ありがとうございました!!

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